マイ・ルーツ [すたじお日記]
「あれが今の自分のルーツだったのかも?」とフト、思うことがあります。
それは僕の場合は高校時代。もちろん、もっと早く萌芽はあったにせよ-。
”夜が明けたら 夜が明けたら 一番早い汽車に乗るから
切符を用意して頂戴 私のために一枚でいいからさ
今夜でこの街とはサヨナラね わりといい街だったけどね”
浅川マキ 「夜が明けたら」
ウッドベースとピアノ、ジャズ的な中音域のギターとこの気だるい歌声-。
「先生、これって中島みゆき?」
「唄い方とか似てるらしいんだけどね。浅川マキっていう昔の人、知ってる?」
「・・・?」
母校の高校にあった図書館の司書の先生が「あの時代の人」で、ある日の放課後、
図書館に行くとBGMでこの曲が流れていました。
それからこの歌の世界に妙に惹かれてしまった僕は先生に、このレコードを借り、
テープに落としました。
図書館のBGMは日によりけりで、マイルス・デイビスであったり、ビル・エバンスで
あったり、ソニー・ロリンズ、MJQ、それにマハビシュヌ・オーケストラだったり…。
豆から挽いたペーパードリップのコーヒーの香り漂う図書館には、いつもそんな音楽が
読書と会話を邪魔しない程よい音量で静かに流れていました。
やはり、そんなところに集まる輩もヒトクセあり、ある意味、「危険人物」のたまり場の
ようでもありました。危険とはいっても当時流行りの「ヤンキー、ツッパリ」(←死語)の
ようなものとは違い、寺山修司やら太宰治、月刊宝島を愛読し、(バンドブーム以前
のまだ小さかった頃)マルクスやらゴダールに傾倒し、五木寛之の旅本に憧れ、ヒッチで
日本中を周るようなヤツらです。言ってみれば「思想犯」ですね。
学年主任の教師に面と向かって言われました。「お前みたいのが一番怖い」と。(笑)
周りがガンダムであったり、BOOWYであったり、聖鬼魔Ⅱだった頃、ぼくはそんな場所に
出入りする高校3年間を送ってしまいました。そんな我が母校も少子化のあおりもあり、
廃校となり、(正確には統合)今は特別支援学校となりました。
あの歳頃と言えば、分かっているのか、分かっていないのか、そんなこと構わずに何だか
コムズカシイことをブって背伸びしているのが、カッコよかった。「我が道を行く」が如く、
風を切ってひとり歩くのが粋だった… なんて、蒼い時であります。
甘いテイストのもが苦手だったり
「カワイイ」という言葉がNGワードだったり
テカテカした新品ぽいものは、ワザと使い込んだように古くして
ワビ、サビとか仙境な世界に憧れたり
男っぽい無骨なもの、ポリシーや背景を感じるものが好きだったり…
やはり、自分のテイスト、世界観のようなものは、この頃にある程度出来上がっていたのかも-。
と、いい歳して少年な、caravan店主の回想録でありました。
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2011-11-08 12:18
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