音楽とcaravan [すたじお日記]
先日、Facebook、Insatagramにアップした「本と店主」
(森岡監行著 誠文堂新光社刊)という本について、
いくつかのコメントを頂きました。
こちらの内容は個人店店主がお店を始めるまでに至った、
直接的、間接的に影響を受けた本にまつわる対談集。
その人のバックグラウンドやモノにまつわるストーリーを
知ることで、そのショップや店主がセレクトしたモノに対する
理解や共感が深まり、買い手は思いを共有することになる―。
そんな関係を築くことができるのも個人店ならではのこと。
今回はstudio caravan店主の音楽ストーリーを紐解いてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ゴダイゴ
「ガンダーラ ガンダーラ」と連呼されるエキゾチックなフレーズと「銀河鉄道999」
に誘(いざな)われた小5の夏。まさかその10数年後、ザックを背負い、ギターを
持ってシルクロード・ガンダーラ経て天竺(インド)まで旅に出ることになろうとは。
旅と音楽のルーツ。
●ビートルズ
今の自分という人間が存在しているのはビートルズのお蔭であり全て。
●ジャパン
80年代初頭といえば「男は黙ってヘヴィーメタル」だった。そんなメタル全盛時代に
「ジャパンが好き」なんてカミングアウトすることはかなり勇気がいることだった。
独特の美学、ひねくれ感とエセ中国モードがツボだった。普通、ロックというのは
外に向かって放射されるものだと思うが彼らの場合、内に向かっている。
その後、中国や東洋に興味を持つのも、「ゴダイゴ・ジャパン・YMO」など彼らの
間接的影響。
●ローリングストーンズ
一番好きなメンバーはブライアン・ジョーンズ。彼が実質的に参加した最後のアルバム
がこちら「ベガーズ・バンケット」。彼のスライドギターが思う存分聴ける一番好きな
アルバム。バンドとして危機的な状況の中から生れた作品だが、実は危うさの中から
生れたモノというのが、(音楽でも他の作品でも)一番刺さるものなのかもしれない。
高2の時に聴いた「悪魔を憐れむ歌」のゾクゾクとした狂気感は今も鮮明。
最近のコンサートでは「フゥーフゥー」のコーラス大合唱はお約束だが、ご多分に漏れず
ノッてしまう。
●ドアーズ
ジム・モリスンから入り、ランボーやボードレール、ビートニクなどの退廃詩人に
憧れた十代後半。「ここまでやらないと、突き詰めないと」と生き急ぐような頃を
送っていた自分はジミヘンやジャニスらと同じく30まで生きられないだろうと真剣
に思っていた。それに30歳以上の人生があるとも思っていなかった。
何の因果か、今はこんな回想めいたことを書いている老いぼれ家具屋店主。
●サム・クック
ライブ盤数あれど、何が一番好きかと問われれば選ぶのが、この「ハーレムスクエア」。
ほぼ黒人のみのオーディエンスとゴスペルまがいの掛け合いになる後半には胸熱くなる。
オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、サム・クック…。
ソフルフルな黒人音楽にはまるにしたがい、(あくまでも)表面的な部分で
黒人が羨ましかった。福生の米兵相手のロックバーに出入りしていたのもこの頃。
●キングクリムゾン
自転車通学だった高校時代は「ウォークマンをして電車通学する」のが憧れだった。
そんな埼玉の片田舎の高校生が晴れて都内の大学に進学し、ウォークマンで一日5回
聴いていたのがこのアルバム。B面のメロトロンで電車の中、白昼夢を見ていた18歳。
●テレサ・テン
初の海外への旅先は中国だった。忘れもしない1989年の夏、天安門事件の直後、
渡航自粛勧告が出ている中、横浜から貨客船に乗り込み上海へと渡った。
ウダルような暑さの中、人民に揉まれ、時には中国人に成りすまし、大陸を
ひとり旅をした。一人だったので時々、日本語を忘れた。
そんなとき、街なかでフト流れて来たのが彼女が中国語で唄った日本歌謡。
これにはやられた。ロック一辺倒で演歌や歌謡曲を否定していた自分の中で何かが
壊れた一瞬だった。
今でもアルコールが入ると(中ジョッキ3杯目くらいから)テレサの曲を出鱈目な
中国語で唄う。再見、我的愛人。
●ジョン・コルトレーン
社会人2年目過ぎくらい、「至上の愛」をディスクマンで大音量で聴きながら
中央線の満員電車で通勤していた。フリーキーかつストイックな彼の音楽が
押しつぶされそうな日々のBGMだった。
●ボブ・ディラン
インドへ半年、旅立つという友人が「部屋をその間、自由に使っていい」ということで
「プチ一人暮らし」を国分寺で始めた。ディランズ・チルドレンだった彼が教えてくれた
ボブ・ディラン。風呂無し、電話なし、ドアは鍵が閉まらないという6帖一間での銭湯
通いの半年。その頃、刷り込まれた「インド・国分寺・ボブ・ディラン」。
Like A Rolling Stone.
●ジャックス・早川義夫
「信じたい為に 親も恋人をも 全てのあらゆる大きなものを疑うのだー」
この曲をラジオで偶然聴いたのは高3の冬。「震えてくる焦りと震えてくる怒りー」
そんな内面の露吐ともとれる歌詞と不器用で不安定な演奏に強烈パンチを喰らった。
「この人は俺の日記を覗いたんたんだろうか…」そんな内面の軟さ、女々しさ、
ダメなところを裸で晒すような痛々しいロック。
早川さんのライブは今まで2回、生で見ている。昔の若い頃の曲も勿論イイが、
還暦を過ぎ、歳を重ねた今の方がずっと素敵だし官能的だ。こんなオトナになりたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おおよそ、家具作りやインテリアからはほど遠いお話となりました。
一つ言えるのは、こんな音楽を聴いてきて今の自分なり、studio caravanが
あるということ。改めて、偏ったセレクトに自己のキャラクターの危うさを
笑いたくなりました。
caravan on the run. no music,no life.
サンキュー ミュージック!!
(森岡監行著 誠文堂新光社刊)という本について、
いくつかのコメントを頂きました。
こちらの内容は個人店店主がお店を始めるまでに至った、
直接的、間接的に影響を受けた本にまつわる対談集。
その人のバックグラウンドやモノにまつわるストーリーを
知ることで、そのショップや店主がセレクトしたモノに対する
理解や共感が深まり、買い手は思いを共有することになる―。
そんな関係を築くことができるのも個人店ならではのこと。
今回はstudio caravan店主の音楽ストーリーを紐解いてみます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●ゴダイゴ
「ガンダーラ ガンダーラ」と連呼されるエキゾチックなフレーズと「銀河鉄道999」
に誘(いざな)われた小5の夏。まさかその10数年後、ザックを背負い、ギターを
持ってシルクロード・ガンダーラ経て天竺(インド)まで旅に出ることになろうとは。
旅と音楽のルーツ。
●ビートルズ
今の自分という人間が存在しているのはビートルズのお蔭であり全て。
●ジャパン
80年代初頭といえば「男は黙ってヘヴィーメタル」だった。そんなメタル全盛時代に
「ジャパンが好き」なんてカミングアウトすることはかなり勇気がいることだった。
独特の美学、ひねくれ感とエセ中国モードがツボだった。普通、ロックというのは
外に向かって放射されるものだと思うが彼らの場合、内に向かっている。
その後、中国や東洋に興味を持つのも、「ゴダイゴ・ジャパン・YMO」など彼らの
間接的影響。
●ローリングストーンズ
一番好きなメンバーはブライアン・ジョーンズ。彼が実質的に参加した最後のアルバム
がこちら「ベガーズ・バンケット」。彼のスライドギターが思う存分聴ける一番好きな
アルバム。バンドとして危機的な状況の中から生れた作品だが、実は危うさの中から
生れたモノというのが、(音楽でも他の作品でも)一番刺さるものなのかもしれない。
高2の時に聴いた「悪魔を憐れむ歌」のゾクゾクとした狂気感は今も鮮明。
最近のコンサートでは「フゥーフゥー」のコーラス大合唱はお約束だが、ご多分に漏れず
ノッてしまう。
●ドアーズ
ジム・モリスンから入り、ランボーやボードレール、ビートニクなどの退廃詩人に
憧れた十代後半。「ここまでやらないと、突き詰めないと」と生き急ぐような頃を
送っていた自分はジミヘンやジャニスらと同じく30まで生きられないだろうと真剣
に思っていた。それに30歳以上の人生があるとも思っていなかった。
何の因果か、今はこんな回想めいたことを書いている老いぼれ家具屋店主。
●サム・クック
ライブ盤数あれど、何が一番好きかと問われれば選ぶのが、この「ハーレムスクエア」。
ほぼ黒人のみのオーディエンスとゴスペルまがいの掛け合いになる後半には胸熱くなる。
オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、サム・クック…。
ソフルフルな黒人音楽にはまるにしたがい、(あくまでも)表面的な部分で
黒人が羨ましかった。福生の米兵相手のロックバーに出入りしていたのもこの頃。
●キングクリムゾン
自転車通学だった高校時代は「ウォークマンをして電車通学する」のが憧れだった。
そんな埼玉の片田舎の高校生が晴れて都内の大学に進学し、ウォークマンで一日5回
聴いていたのがこのアルバム。B面のメロトロンで電車の中、白昼夢を見ていた18歳。
●テレサ・テン
初の海外への旅先は中国だった。忘れもしない1989年の夏、天安門事件の直後、
渡航自粛勧告が出ている中、横浜から貨客船に乗り込み上海へと渡った。
ウダルような暑さの中、人民に揉まれ、時には中国人に成りすまし、大陸を
ひとり旅をした。一人だったので時々、日本語を忘れた。
そんなとき、街なかでフト流れて来たのが彼女が中国語で唄った日本歌謡。
これにはやられた。ロック一辺倒で演歌や歌謡曲を否定していた自分の中で何かが
壊れた一瞬だった。
今でもアルコールが入ると(中ジョッキ3杯目くらいから)テレサの曲を出鱈目な
中国語で唄う。再見、我的愛人。
●ジョン・コルトレーン
社会人2年目過ぎくらい、「至上の愛」をディスクマンで大音量で聴きながら
中央線の満員電車で通勤していた。フリーキーかつストイックな彼の音楽が
押しつぶされそうな日々のBGMだった。
●ボブ・ディラン
インドへ半年、旅立つという友人が「部屋をその間、自由に使っていい」ということで
「プチ一人暮らし」を国分寺で始めた。ディランズ・チルドレンだった彼が教えてくれた
ボブ・ディラン。風呂無し、電話なし、ドアは鍵が閉まらないという6帖一間での銭湯
通いの半年。その頃、刷り込まれた「インド・国分寺・ボブ・ディラン」。
Like A Rolling Stone.
●ジャックス・早川義夫
「信じたい為に 親も恋人をも 全てのあらゆる大きなものを疑うのだー」
この曲をラジオで偶然聴いたのは高3の冬。「震えてくる焦りと震えてくる怒りー」
そんな内面の露吐ともとれる歌詞と不器用で不安定な演奏に強烈パンチを喰らった。
「この人は俺の日記を覗いたんたんだろうか…」そんな内面の軟さ、女々しさ、
ダメなところを裸で晒すような痛々しいロック。
早川さんのライブは今まで2回、生で見ている。昔の若い頃の曲も勿論イイが、
還暦を過ぎ、歳を重ねた今の方がずっと素敵だし官能的だ。こんなオトナになりたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
おおよそ、家具作りやインテリアからはほど遠いお話となりました。
一つ言えるのは、こんな音楽を聴いてきて今の自分なり、studio caravanが
あるということ。改めて、偏ったセレクトに自己のキャラクターの危うさを
笑いたくなりました。
caravan on the run. no music,no life.
サンキュー ミュージック!!
2016-06-11 01:31
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